はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

 雑草の如く(徒然なるままに)

2025(令和7)年のブログです。

10.小説を出版依頼(04.10)

内容を書き改めた「命果てるとも」と「藪小路宮家」を、長編となった「夢を追いかけてー限界マンションの理事長ー」の出版をスリースパイスに依頼しました。5月に入ったら、印刷された見本が届くでしょう。

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09.さらば友よ(04.10)

4月に入っても電話がありません。変だと思って施設へ電話しました。すると対応がおかしく、息子さんへ電話してくださいといいます。息子の電話番号は知らないというと、あなたの電話番号をお知らせしてよろしいですかと聞きます。いいですよと答えて電話を切りました。

3時間後に親友の息子から電話をいただきました。高校と大学の同期ですと名乗ると、お名前は父から何度も聞いています。実は、父は放射線治療が終わると主治医から、完全にがんはなくなりました。完治ですよと言われ、大喜びで退院しました。

施設へ戻って風呂へ入ったときに、心筋梗塞を起こして前のめりに倒れ、息を引き取ったそうです。えっ、心筋梗塞で亡くなったのですか。施設からは、息を引き取ったと説明を受けました。親友が入所していた施設をインターネットで調べてみました。

その施設は、全国的な規模のホスピスで、「医療依存度が高い方々のための在宅型のホスピス。24時間体制で常にケアの目が行き届く環境です」として、「夜間も看護師・看護師が対応してくれる24時間安心のサポート」とあります。

心筋梗塞を起こしても、迅速な手当をすれば死ぬことはありません。日本赤十字の救急救命士の資格や、札幌市消防署の応急手当普及員認定を受けていた私には信じられないことでした。ホスピスの宣伝と真実は、まるで違うことを知りました。合掌。

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08.友人とカラオケへ(03.24)

1月10日にラインが届き「ひとりカラオケで二か月に一度、シルバー料金で4時間粘っています。気が向いたら連絡ください」とありました。「一人カラオケはつらいでしょう。橋幸夫は歌うのをやめたようですが、カラオケ店わたしはまだ大丈夫です。久しぶりに歌声を聞きたくなりました」と返信しました。

数回の打ち合わせ後、この日は地下鉄でひばりが丘駅まで行き、地上へ出るとなつかしい後輩の笑顔がありました。彼の車で常連になっているという、札夕線沿いのカラオケ店へ行きました。料金体系は同じでも、まねきネコでは有料になった飲み物類がすべて無料です。3時間ほど歌を楽しんだ後は、久しぶりの出会いに、お互いの近況を話し合いました。

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07.3月の大雪

1月と2月は暖冬で驚異的なほど積雪が少なかったのですが、3月に入るとこれまでの分を取り戻そうとするかのように降雪が続きました。乾いていた幹線道路はもちろん生活道路も雪に埋もれてしました。

3月末には、1月と2月の降雪量を超えそうな積雪量にまで達しました。短期間に積雪が増えると除雪が大変です。

玄関前の積雪


 今日も玄関前は積雪に覆われました。

T字路の雪山


 町内のT字路にできた雪山は、去年よりも高くなったようです。

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06.シンポジュームへ参加(03.15)

2025年地震火山研究観測センターシンポジュームが、北海道大学大学院研究院付属地震火山研究観測センターの主催で、北海道大学学術交流会館小講堂で開催され、「日本世界腎臓デー海沿岸の地震と津波・能登半島地震から学ぶ」を拝聴しました。

司会進行は北海道大学地震火山観測センター長の高橋浩晃教授でした。講師を務められたのは全員北海道大学地震火山研究観測センターの専門家で、海底地震津波研究分野を担当されている「能登半島地震から学ぶ日本海沿岸で発生する大地震の特徴」の講演は谷岡勇一郎特任教授。

「海底地震観測から明らかになった能登半島地震の余震活動」の講演は村井芳夫准教授。「能登半島地震による津波」の講演は山中悠資講師、「古文書と地質記録から探る北海道日本海沿岸あの地震津波像」の講演は西村裕准教授でした。

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05.まちかど腎臓病講座(03.13)

3月13日は世界腎臓デーでした。紀伊国屋書店札幌本店で開催された第一回「まちかど腎臓病講座」に参加しました。東苗穂病院内科の吉田祐一医師の進行で、勤医協中央病世界腎臓デー院の腎臓内科入宇田智子医師の「腎臓病について」の講演。

愛心メモリアル病院腎臓内科の石田貴之医師の「慢性腎臓病と言われたら」、東苗穂病院訪問診療部の森小合管理栄養士の「あなたの腎臓を守る、始めよう減塩のコツ」などの講演を拝聴しました。

m三星腎臓病は(CKD)は8人に1がかかる国民病で、心筋梗塞や脳卒中の危険因子である、進行すると腎不全や透析に移行する場合があります。早期発見が大切なので、参加者は健康診断を受ける事を薦められました。蛋白尿乳やGFRが60未満の場合は、医師への相談が必要とのことです。

3月13日の世界腎臓デーに合わせて、18時にさっぽろテレビ塔を緑にライトアップするそうです。残念ながら見ることができませんでした。

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04.プリンタを購入する(03.11)

日本電子機器補修協会(JEMTC)から購入したパソコンで補正した写真を、プリンタで印刷しようとすると反応しません。おかしいなとネットで調べていると、Windows7の時代に購入したプリンタはWindows11には対応できないとわかりました。

しかたがないので、EPSONの機種を探して、大容量インクが充てんできる機種を見つけました。購入すると補充インクはボトルで、プリンタにはボトルの6分の5もインク入ります。これは長持ちするでしょう。これまで控えていた写真を印刷できます。

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03.親友からの返信(01.18)

昨年は病気との戦いで7月に悪性リンパ腫で入院し、5サイクルの治療薬の点滴で苦労しました。2年前には妻が長い闘病生活の末に他界しました。独り身となり、介護付きの施設に入所し安心した生活を送っています。住所も変更になりました。

ハガキを受け取って驚きました。連絡がないのは元気の証拠と思っていたら、奥さんを亡くして病気のため介護付きの施設に入所していると知りました。入所している施設がわかったので、施設へ電話しました。面会をしたいので、尋ねてもよいか照会しました。

氏名やどのような関係かを質問され、面会は家族の許可が必要といいます。刑務所の囚人に面会を求めているのではありません。なぜか、事情が分かりましたのでおいでくださいとはいいません。腹が立って、これから施設へ行くと伝えて家を出ました。

施設まで50mのところで、スマホのベル音が鳴りました。電話に出ると施設からで、親友は放射線治療のため病院に入院しています。ええっ、それじゃあ会えないかと、自宅へ引き返しました。すると、4日後に親友からハガキが届きました。

放射線治療のため一か月ほど入院しています。積もる話があると思います。退院したら電話します。退院しても後期高齢者は、耐力が回復するのに日数がかかります。一か月経度は休養が必要を考えていました。

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02.親友への手紙(01.10)

お元気でお過ごしのことと思います。寒中見舞いをありがとうございました。文面を拝見すると「昨年の年賀状にて以後の年賀の欠礼をさせていただく旨、記載させていただきました」とあります。あなたが年賀状を出すのをやめるのはあなたの自由ですが、相手に対して年賀状を出すなということであれば欠礼を強制していることになりませんか。

私は後期高齢者とも年賀状をやり取りしていますが、2年前にあなたと同じ年齢の方より「高齢のため年賀の欠礼をさせていただく旨の連絡」を受けました。翌年、昭和42年当時のことで照会したいことがあり手紙を出しました。その手紙に次のように書き添えました。

「高齢のため年賀欠礼の連絡をいただきましたが、人生100年時代と言われています。わたしはビクトル・ユーゴーの言葉をもじって『70歳は青年の老年期であり、80歳は老年の青年期である』と信じています。老人だからと甘えて、人生から逃げ出すのはむなしすぎませんか。」

今年届いた年賀状に「一昨年から今年まで『日本全国四十社鉄印マップ』掲載の四十鉄道すべてを踏破しました。北海道いさびり鉄道から九州肥後のおれんじ鉄道まで40鉄道の社印を収集しました。まだ、がんばっています」。元気の良さに驚きました。

私は、町内会長を辞退すると小学校の評議員を頼まれ、率先してPTA主催の児童見守り運動に参加し、毎年学期始業日から一週間は交差点で交通指導をしています。おはようと声をかけると、おはようございますと元気な声が返ってきます。

北海学園大学の初代学長上原轍三郎氏は、「開拓者精神」をもって北海学園大学生のモットーとすべきことを説きました。賛同した私は常に「開拓者精神」と共に生きてきました。年だからとボケルのを待っていないで、もう一度写真部の部室を作りたい、グリークラブの合宿をしたい、演奏旅行をしたい、発表会をしたいと夢を抱いた当時を思い出しませんか。

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01. 暖冬の三学期始業式(2015.01.15)

2025年の1月は暖冬です。1月というのになぜか気温はプラスです。

通学児童

いよいよ新学期です。

解けた氷

川の表面に貼っていた氷は解けて、水の流れが見えます。

雪解けの道

生活道路の積雪も見当たりません。

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